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「三丁目の夕日」時代の暮らしぶり

昨日は、相方・HEICO・RINGOが一口馬主として出資している競走馬・ドリームカトラスが、東京競馬場の第10レースで久々の勝利をおさめて大喜び!の午後になりました。詳しくはこちらをどうぞ♪

さて、人気シリーズの映画「ALWAYS三丁目の夕日」の最新作が封切られました。
舞台は1964年=昭和39年。東京オリンピックがあった年。そして東海道新幹線が開業した年でもあります。
私はこの東海道新幹線の試運転車両に乗った経験があるのですが・・・あいにくほとんど覚えていません。残念~!
以前のブログにも書いたけれど、覚えているのは、フツーの人が通らないところを通り、とんでもないところ(確か線路)からホームに上がった、ということくらい。
こんな体験が出来たのも、ひとえに父が国鉄マンで、努力して新幹線の仕事に携わっていたから。
仕事ばかりで家族と過ごす時間もあまりなかったけれど・・・
あの頃の父親って、ほとんどそんな人ばかりだったような気がしますね。
高度成長期ということもあって、大人はみんな働き者だったようにも思えます。

当時私は小学校1年。
近くに大手の紡績工場がありました。紳士服の服地を作る工場です。
そこには、中学を出て集団就職で働きに来ていた多くの女子従業員さんがいました。
寮に入って昼間は仕事、そして夜は定時制高校に通うため、家の前を通って行きましたね。帰りはたいてい午後9時前後だったと思います。

うちはT字路の突き当りにあるのだけれど、向かい側の角に八百屋さんがありました。
八百屋、と言っても、今ならさしずめコンビニのような、24時間営業じゃないから、田舎のなんでも売っているお店があるでしょ?あんな感じのお店で、ちょっとしたものは何でも置いてありましたね。八百屋だけど魚も扱っていたし。さすがに肉類はなかったかな。でも、ハムなんかは売っていました。
旦那さんが病弱なため、お店はおばさんひとりで切り盛りしていましたが、父が結核で入院中は収入も少なかったため、母はその八百屋さんで、今でいうパートで働かせてもらっていた時期もありましたっけ。

当時はなんとも思わなかったけれど、お金がないから買い物はいつも「つけ」でした。「つけ」という意味もよくわかりませんでした。それでもいつ頃からだったか、お金をその場で払わないのにどうして物が買えるのか不思議に思うようになり、後でまとめて払うことがわかったのは、つけ払いの帳面の計算をそろばんでさせられるようになってからだったかな。
今から思うと、なんとものんびりとした商売の仕方だったと思います。

それにしても、うちって本当に貧乏!でした。お金もものもなかった、と思います。それに比べたら今はずいぶん贅沢な・・・あくまで当時と比べて、ですが。
そんな貧乏な家なのに、うちの家族ときたら好き嫌いがすごく激しかったんですよね。
嫌いなものを出して残されるのがもったいなくて、母は結局家族それぞれが好きなものしか作らなかったような気がします。

実は母は料理があまり得意ではありませんでした。
そのことに気づいたのは、私が結婚してから。
大正一桁生まれなのでレパートリーが少ないのは仕方ないのかもしれませんが、それでも得意なひとならもっといろんな種類のものが出てきたと思うのです。一度に出る品数は少なくても。
そして、味付けもあまりよくなかった。少なくとも私の好みではない味付けのものが多かったですね。
なので、当時ほとんど食べなかった切干大根やひじきの煮物は、結婚後自分で作るようになってやっと好んで食べられるようになったものです。

そういえば、掃除もそんなに好きじゃなかったのかも・・・そこはそっくり似ちゃったな(苦笑

そんな母ではありましたが、ただひとつどうしても彼女に敵わないと思うことがあります。
それは、ミシン。
若いころ親戚の仕事の手伝いでミシンの縫製の仕事をしていたことがあって、そのとき培われた技術で私たちの洋服も縫ってくれましたね。
ただ、ねぇ・・・・・・
服のセンスはあまりなかったのですよね。
特に嫌だったのが、ポケットなどにアップリケをつけられること。
なんだか子どもっぽく見えて(子どもだったのにそう思ったのよ)気に入らなかった。
多分自分の子ども時代にはそういうかわいいものがなかったからなんでしょうね。

そうそう、映画じゃないですが、私の住んでいたところも「三丁目」でした。

ひとつ思い出すと、なんだか次々思いだしますね。
もうひとつ思い出したことがあるのだけれど、それはまた後日。

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comment

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No title

こんにちは。
昭和の後ろ半分の中で育ってきた私は
今の世に育つ子どもたちに戸惑いを感じつつ
「昭和」の子育てをして子どもに疎んじられてる(笑。
自分の子ども時代は幸せではなかったけれど
今幸せだと思えるのはあの時代があったから。
我が家では八百屋(よろず屋:肉もあったよ)は現金でした。
酒屋はつけやったなぁ、電気製品は「月賦」で(笑。

Re: No title

ちろるさん、おはようございます。

今さっきも、子育てに関するテレビをちらっと見ながら化粧していましたけど・・・今の若い母親って取り扱いが難しそうだなぁと思っちゃった。私もしっかり昭和の子育てのひとなので(笑

八百屋さんに肉がなかったのは、おそらくすぐ近くに専門店があったからなんじゃないかしらね。特に取り決めたわけでもないだろうけれど。
酒屋さんは御用聞きのオニイサンが週に2回くらい来ていましたが、支払がどうだったか覚えがないです。電気製品はもちろん!月賦でしたよ。

勝利良かったですね♪

こんにちは!
厳しい寒さの中、約1時間交通おばさんしてきました(>_<)
手足の先が冷た~い!

昭和の懐かしい日々、暮らしが豊でなくても心は豊かでしたね。
貧しい家庭が多かった時代、家族や周りの人とのコミュニケーションが取れていたので、精神的に苦しいことがあっても何とか頑張れたような気がします。

子供の頃の環境、村では無いものづくし、でもそれほど不便を感じていなかったのは身の丈に合う生活を自覚していたからでしょうか。



Re: 勝利良かったですね♪

ニナ子さん、こんばんは。

私は、その当時のほうが心が豊かだった・・・とも言い切れない部分がありますね。
ご近所づきあいも、いい面もあれば過干渉とも思える部分もあったし。下町だから余計にそうだったかもしれませんけど。
今はあまりに便利になりすぎて。現代人が当時にタイムスリップしたら、とても暮らしていけそうにないでしょうね。

寒~い~

こんばんは!
何もなかったけど、母の愛情だけが救いだった子供時代です。
今風に言えば波瀾万丈?激動の日々でしたが、あの厳しさを
過ごして来れたのも今に通じる道があったからかな。

そうそう、バイト初日は雪の予報ですよね!
ハンズで靴用の滑り止めグッズを買ってきました。(^_^;)
横断歩道もあるし、携帯した方が安心かも。

Re: 寒~い~

ニナ子さん、再びこんばんは(笑

そうそう、雪だるま、いますねぇ!困ったことにv-276
この前ランチのときも履いていったのですが、底に滑り止めのついた靴を買ったんです。効果のほどは?ですけどね。出来れば積もらないくらいの降りだといいんですけど。
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